最低賃金が上がる中小企業の打ち手|賃金原資をどう作るか

最低賃金が上がる中小企業の打ち手|賃金原資をどう作るか
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毎年秋に届く一枚の通知が、いちばん重い

10月が近づくと、労働局から最低賃金の改定を知らせるリーフレットが届きます。経営者にとって、これがおそらく年間で最も重い一枚です。売上の見通しが立っていなくても、改定日は待ってくれません。「上げたくない」のではなく、「上げる原資がどこにもない」——中小企業の現場で聞くのは、ほとんどがこの言葉です。

このコラムでは、制度そのものの説明は最小限にとどめます。扱うのは、最低賃金が上がるときに中小企業がとれる対策——具体的には、自社にいくらの影響が出るのかを試算する手順と、その原資をどこから作るのかの2点です。数字を出さないまま「なんとかしなければ」と考えている状態がいちばん苦しいので、まず輪郭をはっきりさせるところから始めましょう。

まず押さえる——令和8年度の改定はどれくらいか

最低賃金は毎年見直されます。中央最低賃金審議会が引上げ額の「目安」を示し、それを参考に各都道府県の地方最低賃金審議会が審議し、都道府県労働局長が決定するという流れです。

令和8年度の中央最低賃金審議会の目安は、Aランク54円、Bランク56円、Cランク56円でした。その後、各地方最低賃金審議会が答申した改定額を厚生労働省が取りまとめた結果、全国加重平均は1,177円となり、前年度の1,121円から56円の引上げとなりました。各都道府県の引上げ額は54円~65円で、発効予定日は10月1日から12月2日まで地域によって異なります。2年続けて50円を超える引上げです。

実際の改定額は都道府県ごとに決まります。たとえば京都府では、京都地方最低賃金審議会が58円引上げ・時間額1,180円とする答申を行いました(令和8年8月24日・京都労働局発表)。厚生労働省の取りまとめによれば、京都府の発効予定日は令和8年11月16日です。目安を上回る額を答申した都道府県も多く、引上げ額には目安と同額から目安+9円までの幅があります。自社の所在地の額と発効日は、必ず管轄の労働局の公示で確認してください。

影響額を試算する4ステップ

ここからが本題です。数字は思っているより簡単に出ます。1時間あれば足ります。

ステップ1:改定後の額を下回る社員を洗い出す。賃金台帳を開き、時間給に換算した額が改定後の最低賃金を下回る人を全員リストにします。月給者については、最低賃金の対象となる賃金から通勤手当など算入しない賃金を除いたうえで、1か月平均所定労働時間で割って時間額に換算します。ここで見落としやすいのが、パート・アルバイトだけでなく、若手の月給社員も対象になり得ることです。

ステップ2:1人あたりの不足額×年間所定労働時間を出す。「改定後の額-現在の時間額」に、その人の年間所定労働時間を掛けます。これが1人あたりの年間増加額です。

ステップ3:法定福利費を上乗せする。ここを忘れる会社がとても多いところです。賃金が上がると、労働保険料が増えるほか、社会保険についても標準報酬月額の変更等により会社負担が増える場合があります。概算では賃金増加額に一定割合を上乗せして見込んでおき、正確な額は加入状況や保険料率、標準報酬月額を確認して計算してください。

ステップ4:割増賃金への波及を見る。時間給が上がれば、残業代の単価も上がります。残業の多い職場ほど、ここの影響が無視できません。

この4つを足したものが、来期の人件費増です。ここまで出せば、「なんとなく不安」が「毎月◯万円の追加」という具体的な課題に変わります。打ち手を考えるのは、この数字が出てからです。

影響は最低賃金付近の社員だけではない——賃金の圧縮

試算を出した会社が次にぶつかるのが、この問題です。最低賃金付近の社員だけを引き上げると、その少し上の層との差が縮まる。入社1年目と5年目の時給差が10円しかない、パートと若手正社員の時間額が逆転する、といったことが起きます。これを賃金の圧縮と呼びます。

圧縮を放置すると、何が起こるか。まず、経験を積んだ社員のモチベーションが下がります。「頑張って5年やってきたのに、入ったばかりの人と同じ」という感覚は、賃金の絶対額よりも強く効きます。次に、責任のある仕事を引き受ける動機が失われます。時間額が変わらないなら、負荷の軽い仕事のほうが合理的だからです。

つまり最低賃金の引上げは、最低賃金付近の人だけの話ではありません。賃金表全体を押し上げる圧力として働きます。試算のときは、最低賃金を下回る人だけでなく、「その上100円〜200円の層」も一緒にリストアップしておいてください。実際に上げるかどうかは別として、影響の全体像が見えます。

打ち手1:賃金体系を見直す——上げる順番を決める

原資が限られている以上、全員を等しく引き上げることはできません。だからこそ順番を決める必要があります。ここで有効なのが、賃金の「器」を作ることです。

具体的には、等級と賃金レンジの対応表を用意します。3〜5等級、それぞれに上限と下限があるだけの、紙1枚のものでかまいません。この表があると、①最低賃金の引上げで下限を割った等級だけを直せばよい、②どの等級が圧縮しているかが一目で分かる、③上げる根拠を社員に説明できる、という3つの効果があります。

逆に、賃金表がない会社は毎年ゼロから悩むことになります。誰をいくら上げるかを社長の記憶と感覚で決めるので、時間もかかり、説明もできません。賃金の議論が毎年しんどい会社は、金額の問題ではなく器がない問題であることが多いのです。昇給額の決め方については中小企業の昇給の決め方で詳しく整理しています。

あわせて考えたいのが、手当の整理です。役割の実態と合っていない手当が残っていないか。廃止するのではなく、基本給や役割手当に組み替えることで、同じ原資でも配分の納得感が変わります。ただし不利益変更にあたる可能性があるため、進め方は慎重に。就業規則の変更や個別の同意が必要になる場面があります。


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打ち手2:生産性向上——「同じ人数で、同じ時間で」を疑う

原資を作る二つめは、支出を減らすのではなく、同じ人件費で生み出す成果を増やす方向です。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、中小企業でも手をつけられる領域は残っています。

取りかかりやすいのは、時間の使い方の棚卸しです。社員数名に1週間分の業務を15分単位で書き出してもらい、「金額を生んでいない時間」を数えます。転記作業、探し物、確認待ち、手戻り。ここに毎週何時間使っているかが見えると、投資の判断がしやすくなります。

次が設備・システムへの投資です。券売機、セルフレジ、受発注システム、勤怠管理のデジタル化。導入費用はかかりますが、後述の支援制度で一部をまかなえる場合があります。判断の目安は「その投資で減る時間×時間単価」が、何年で投資額に届くか。この計算をしておくと、社内の説得も早くなります。

そして意外に効くのが、やめることを決めることです。惰性で続けている定例会議、誰も読まない日報、二重に作っている帳票。増やす話より、やめる話のほうが即効性があります。

打ち手3:支援制度で原資を作る

三つめが公的な支援制度の活用です。賃上げに関連するものとして、次のような制度があります。

業務改善助成金は、事業場内で最も低い時間給を一定額以上引き上げ、あわせて生産性向上に資する設備投資等を行う中小企業・小規模事業者に対し、その費用の一部を助成する制度です。賃上げと設備投資をセットで行うという設計なので、打ち手2と組み合わせやすいのが特徴です。年度ごとにコースや要件が見直されるため、内容は業務改善助成金の解説とあわせて、必ず最新の公募内容を確認してください。

キャリアアップ助成金は、非正規雇用労働者の正社員化や賃金引上げなどの処遇改善に取り組む事業主を支援する制度です。賃上げそのものを対象にできる点で、最低賃金対応と親和性があります。

このほか、厚生労働省は賃金引上げに向けた特設ページを公開しており、取り組み事例や地域別の賃金相場を調べられます。都道府県や市区町村が独自の支援制度を設けていることもあるので、労働局・商工会議所・よろず支援拠点にあわせて確認するとよいでしょう。制度の性格の違いは助成金と補助金は何が違うかで整理しています。

なお、助成金の中には、取り組みを始める前の申請や計画提出が必要な制度があります。たとえば令和8年度の業務改善助成金は9月1日に受付が始まり、申請期限は「事業場の所在する都道府県の地域別最低賃金の発効日の前日」または「11月30日」のいずれか早い日です。賃金を上げてから探し始めると間に合わないことがあるため、改定日の前に相談しておくのが現実的です。

計算に含める賃金・含めない賃金

試算のときに間違えやすいのが、どの賃金を最低賃金の比較対象に入れるかです。支給している賃金のすべてが対象になるわけではありません。

最低賃金法では、精皆勤手当、通勤手当、家族手当などは算入しないことが定められています。加えて、時間外・休日・深夜労働に対する割増賃金、賞与のように1か月を超える期間ごとに支払われる賃金、臨時に支払われる賃金も比較の対象から外れます。

つまり、手当を含めた総支給額で「うちは足りている」と判断すると、実際には下回っていることがあり得ます。とくに通勤手当や家族手当を厚めに支給している会社は要注意です。判断に迷う手当がある場合は、労働局の賃金室に確認するのが確実です。

やってはいけない3つの対応

原資が苦しいときほど、後で高くつく選択をしてしまいがちです。3つ挙げます。

第一に、所定労働時間を帳簿上だけ短くして、時間額のつじつまを合わせること。月給を維持したまま実際の労働時間も短縮するのであれば、それ自体が問題になるわけではありません。しかし、所定労働時間だけを短く変更しながら、実際には従来と同じ時間働かせれば、時間外労働や割増賃金の未払いにつながるおそれがあります。また、賃金の減額を伴う場合には、労働条件の不利益変更の問題も生じ得ます。

第二に、対象者だけをこっそり上げること。説明のないまま一部だけを是正すると、前述の賃金の圧縮が水面下で進みます。上げた事実より、上げなかった理由を説明しないことのほうが不満を生みます。

第三に、改定日を過ぎてから気づくこと。最低賃金は強行的な効力を持つ規定で、下回る取り決めは無効となり、最低賃金額と同額の定めをしたものとみなされます。差額の支払い義務が生じるだけでなく、罰則の対象にもなり得ます。「知らなかった」は通用しません。

発効日までにやること

最後に、改定日までの段取りをまとめます。

①管轄の労働局の公示で、自社に適用される額と発効日を確認する。②賃金台帳から、改定後の額を下回る社員と、その上の層をリストにする。③影響額(賃金+法定福利費+割増賃金)を試算する。④等級と賃金レンジを見直し、上げる順番を決める。⑤原資が足りない分について、支援制度の相談に行く。⑥発効日の前に、変更内容を対象者へ説明する。

このうち①〜③は、担当者1人で半日あればできます。難しいのは④以降で、そこは経営判断が必要です。だからこそ、③までを早く終わらせて、判断の時間を残しておいてください。なお、特定の産業には地域別最低賃金より高い特定(産業別)最低賃金が定められている場合があります。自社が該当するかどうかもあわせて確認しておきましょう。

もうひとつ、社内での伝え方も準備しておきたいところです。最低賃金の引上げによる是正を「昇給」として伝えると、本人は自分の働きが評価されたと受け取ります。ところが翌年、法改正による是正がなければ昇給がゼロになり、「去年は上がったのに」という不満が残ります。法令対応による是正と、評価に基づく昇給は、別のものとして説明する。手間はかかりますが、この一手間が翌年の納得感を左右します。

まとめ|原資は「見つける」より「作る順番を決める」

整理します。①令和8年度は答申ベースで全国加重平均1,177円、前年度から56円の引上げ。実際の額と発効日は都道府県ごとに異なる。②影響額は「不足額×年間所定労働時間+法定福利費+割増賃金への波及」で試算する。③最低賃金付近だけでなく、その上の層との賃金の圧縮まで見る。④打ち手は、賃金体系の見直し・生産性向上・支援制度の3つ。⑤所定労働時間を帳簿上だけ短くしてつじつまを合わせるのは、割増賃金の未払いや不利益変更のリスクがある。

賃上げの議論が毎年つらいのは、金額そのものよりも決める基準がないまま毎回ゼロから悩んでいることが原因である場合が少なくありません。今年の対応を、来年以降も使える器を作る機会にできれば、同じ苦労を繰り返さずに済みます。まずは賃金台帳を開いて、数字を出すところからです。

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